趣味は誰のために?
先日、2ヶ月ほど前に辞めたバイト先のバイトメンバーと飲みに行った。
ちょっと特殊なバイトであるためか、ユニークで面白い人たちばかり。
そんな人たちと久しぶりに接していると、なんだか自分は本当に何もなくて空っぽだなと思ってしまった。なんか自分、つまらないなと。
だからといって面白い人になろうとして何かをやるのはインスタ映えの奴隷になるのと同じでなんか違う気がしているけど、でも今のままじゃなんかちょっとなという気もする。
いや待て、ところで何で面白い人になりたいんだろうか?
面白いって、誰目線で?
他者に面白いと思ってもらえるようになりたい?
他者に面白い奴だな、と思ってらもらえることが増えると人脈も広がりやすいしチャンスも増えると思う。面白いと思われやすいと得だということがわかっているからこそ、自分の感情を無視して、自分はあまり興味はないけど面白いと思われそうだからやってみようみたいなことになりかねない。
それはある種打算的で、無意識のうちに見返りを期待してしまうこともあるかもしれない。そうなったら周囲の反応が自分の期待を下回った時に相手に不快感を覚え、いくら隠そうとしてもそれは相手にも伝わってしまうだろう。
あなたのために頑張ったのになんで称賛してくれないの?となってしまったらそれは悲劇だ。
頭に浮かんだことをただそのまま書いていったらだいぶまとまりのない文章になってしまったけれど、結局、何かするときに他者に期待をするのはやめようということに落ち着いた。
もともとは自分が好きだからやっていたことも、例えばそれをSNSに上げていいねをもらう事に快感を覚えたことがきっかけになったりして、段々いいねを貰うためにやるようになってきたりすると、同じことをやっているのにいいねの奴隷になってしまうんだよね。
いいねを貰うために、ってところが人に期待するということ。
いつの間にか自分ためではなく人のためにやるようになって、報酬がもらえているうちはいいけど、報酬が期待を下回った時に不快感を覚える。でもその不快感はまるで見当違いのもの。だって期待を向けられた相手からしたら、自分のためにやってくれなんて1ミリも思ってないわけで、そっちが勝手にやったことだから。
だから自分が何かをやるときは、誰のために、何のためにやってるのかを確かめながらやろうと思う。
Twitterに上げていいねをもらう為にやっているなら一旦考え直したほうが良いだろう。